国立広島商船高等専門学校
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瀬戸内海と国語教育

豊かな心・生きる力・規範意識を育む教育  ー瀬戸内海と国語教育ー

朝倉 和(一般教科)

概要 本校が大学COC事業に採択されてから3年が経ち,ちょうど節目の年を迎えている。その間,報告者は,大崎上島の周りを囲む「瀬戸内海」に着目して,各学年の国語(現代文・古典)の授業で地域指向の教材を扱ってきた。主な教材としては,『万葉集』や『平家物語』,若杉慧の『エデンの海』の他,陶潜の「桃花源の記」も,番外編として大崎上島と関連付けて,授業を展開した。今回は,報告者の取り組みの進捗状況を確認する意味においても,これらの授業の概要を纏め,学生達の瀬戸内近郊地域・社会に対する興味・関心・理解が深まり,彼らの「豊かな心,生きる力,規範意識」の醸成が確固たるものになりつつあることを確認するとともに,地域指向の授業は教員のアイデア次第で自在に展開できるのではないか,という感想を持つに至った経緯を記したい。

キーワード 瀬戸内と日本(古典)文学/万葉集/エデンの海/平家物語/桃花源の記

1.はじめに

報告者は3年前から,各学年の国語の授業で,「瀬戸内海と日本(古典)文学」と題して地域指向の教材を用い,授業を展開している。今回はこれらの授業の概要をすべて紹介することにより,学生達が瀬戸内近郊地域・社会に対して,どのような興味・関心を示し,何を理解してきたのかを確認したい。この3年間に報告者が実施した,大学COC事業関連授業で用いた,主な教材は,以下の通りである。

(a)『万葉集』巻第3所収,鞆の浦で大伴旅人が詠んだ和歌3首(平成25年度「2年古典」)
→授業内容は,平成25年度成果報告書にて発表
(b)若杉慧『エデンの海』(平成26年度「2年現代文」)
→授業内容は,平成27年度本校紀要にて発表予定
(c)『平家物語』能登殿の最期,先帝入水(平成26年度「1年古典」,平成27年度「2年古典」)
(d)陶潜「桃花源の記」(平成27年度「2年古典」)

 

2.授業内容とその成果

(a)『万葉集』巻第3所収、鞆の浦で大伴旅人が詠んだ和歌3首(平成25年度「2年古典」)

当該授業に関しては,平成25年度成果報告書に纏めているので,詳細はそれに譲るが,大崎上島と同じく瀬戸内海に面しており,世間への露出度では大崎上島をはるかに上回る「鞆の浦」(福山市鞆地区)に注目することにより,学生達の目を瀬戸内近郊地域・社会に向けることを第一目的とした。大伴旅人(665-731)が天平2年(730),太宰帥の任を終えて奈良の都に上京する際,鞆の浦にて詠んだ和歌(挽歌)3首は,次の通りである。

446 我妹子(わぎもこ)が 見し鞆の浦の むろの木は 常世(とこよ)にあれど 見し人ぞなき
(わが妻が見た鞆の浦のむろの木は,今も変わらずにあるが,一緒に見た人(妻)はもういない。)

447  鞆の浦の 磯のむろの木 見むごとに 相見し妹は 忘らえめやも
(鞆の浦の磯のむろの木を見るたびに,これを一緒に見た妻が忘れられようか。)

448 磯の上に 根ね延ばふむろの木 見し人を いづらと問はば 語り告げむか
(磯の上に根を張っているむろの木は,かつて見た人(妻)のことを,どうしているかと尋ねたら教えてくれるだろうか。)

3首の部立は「挽歌」(人の死を悲しむ歌)で,旅人は,眼前に群生する「むろの木」(ひのき科の常緑低木。仙酔島をはじめ,鞆の浦には,今でも多い)を見ながら,任地(太宰府)で亡くなった妻(大伴郎女)のことをおもっている。妻を亡くした旅人の喪失感や悲愴感に着目したり,永遠性を有するむろの木と,束の間の人生の終焉を迎えた妻・郎女とを対比することにより,この世の無常(生命無常)を実感せざるを得ないことなどを講じたのであるが,授業終了後に実施した自由提出形式のアンケート調査(今回は省略)には,以下のような感想が散見された。

・大切な人と共に見たものを,帰り一人で見るというのは,相当辛いものだと感じた。(1組男子)
・僕たちが生活している広島は,海がとても身近にあり,それは今も昔も変わらず多くの人によって利用されているということがわかった。また,自分達が生活している大島上島との関連性を探していくと,もしかしたら昔の有名な人達が来ていたかもれしないと思えるようになった。(1組男子)
・海は女の神様が居ると言われているので,鞆の浦が海に隣接しているという点と鞆の浦には妻と見たむろの木があるという点から,神様とむろの木の力で,大伴旅人の亡くなった妻への思いが叶うような気がします。愛する人が亡くなったらなかなか立ち直ることは難しいと思いますが,元気出して一歩一歩前進して欲しいです。(1組女子)
・広島県にもたくさんの日本古典文学の作品に関連した場所があるのを知ってびっくりした。これからも機会があれば,調べていきたい。(2組男子)
・作者が奥さんを亡くして悲しいが,風景は変わらないという考えが胸に響き,自分まで悲しくなった。(3組男子)

これらの感想に代表されるように,「豊かな心」や「生きる力」の醸成とともに,大崎上島と鞆の浦の立地的な共通点(瀬戸内近郊地域)を意識した意見が随所に見られたのであるが,このことは,報告者が,学生達に大崎上島で生活していることを常に意識させながら授業を展開したり,アンケート調査に瀬戸内近郊地域の地図を載せて,大崎上島と鞆の浦の位置感覚を視覚的に理解させたことも要因の一つと思われる。

(b)若杉慧『エデンの海』(平成26年度「2年現代文」)

当該授業の詳細に関しては,今年度の本校紀要にて発表予定であるので,ご参照いただけたら幸いである。
若杉慧(1903-87)は明治38年,現在の広島市安佐南区沼田町阿戸に生まれ(昭和55年に同地の浄宗寺に若杉の文学碑,仏塔「野仏之塔」が建立された),昭和19年9月,42歳の時に本校(当時は「国立広島商船学校」)に赴任して,昭和23年9月に依願退職している。豊田郡東野村小頃子上組に6畳1間を借りて,家族とともに仮寓しており,現在も旧居跡が残っている。退職の理由は,文筆活動に専念するためと考えられ,実際に若杉は,昭和17年には「微塵世界」で芥川賞候補,翌18年にも「淡墨」で同賞候補に挙がっており,当時,将来を嘱望された作家でもあった。そして,この度,授業で取り上げたのが,本校在職中に書き上げられ,これまで3度に渡って映画化もされた(松竹映画〈昭和25年〉・日活映画〈昭和38年〉・東宝映画〈昭和51年〉。3度目のヒロイン役は山口百恵),彼の代表作『エデンの海』である。『エデンの海』は,

瀬戸内海の女学校を舞台にした青年教師・南条と教え子・清水巴の,爽やかな恋愛物語であり,二人は「理性によって退廃を避け,恋愛感情を外部に向けて解放していく」(広島市立中央図書館「若杉慧文学資料展パンフレット」)

というストーリーである。若杉は,忠海高等女学校(現在の忠海高校)においても教鞭を執っており,その時の体験をもとにして小説化したとみられる。
報告者は,小説の作者が本校の元教員であり,その舞台が大崎上島の近郊と考えられるので,学生達が小説世界に入りやすく,地域社会に興味や関心を抱く契機になるのではないかと思い,『エデンの海』を教材に選択した。と,同時に,「コミュニケーションスキル教育」を推進する高専国語の時流を意識して,班によるグループ学習の成果を,クラスの前で発表するというプレゼンテーションを採用した。
テキストは,角川文庫『エデンの海』(昭和53年改版7版,114ページ,13段落)を使用した。2年生には,夏休み前にテキストを配布して,著者の説明をするとともに,事前学習用のレポート(→【資料①】)をも併せて配布,夏休み中に作品を一読して,レポートに取り組むことを宿題に課した。夏休みが明けると,DVD『山口百恵主演映画大全集4 エデンの海』を鑑賞して,学生達が小説世界のイメージを描きやすいように工夫した。その後,各クラスとも,班分け,役割分担,日程確認,資料作成に時間を費やした。各班は4-5名で構成され,班長・発表者・資料作成者(1-2名)・集計者に分担した。資料作成に関しては,学生達の混乱を避けるために具体例(→【資料②】)を提示して,基本的には,「問題提起」「考察」「結論」という形式で作成するように指示をした。発表当日は,その日に発表する各班分の資料と審査用紙(→【資料③】)を,クラス全員に配布し,発表後,各班はクラスの学生の審査用紙を回収し,(集計者は)集計用紙(→【資料④】)にまとめる。
1組(44名),2組(44名),3組(44名)の各班の問題提起を掲げると,以下の通りになる。

【1組】
1班:どこで南条は巴に恋したか。
2班:桜田お律
3班:なぜ小説で描かれている遠泳シーンが,映画では省かれたのか。
4班:なぜ,南条は清水にひかれたのか?
5班:南条はどんな人物なのか
6班:①巴の人間像とは ②南条先生の人間像とは
7班:清水巴の人物像や性格。
8班:南条はなぜ数多くの女子生徒の中で清水巴に惹かれたのか。
9班:小説で登場した舞台(場所)が与える二人の主人公への心情的な影響

*     *

【2組】
1班:教師南条が清水巴に抱く理性の変化
~教師としての理性から一人の青年としての理性に変わるまで~
2班:『エデンの海』の中で出てくる「十字架」との関わり
3班:なぜ『エデンの海』に「新生」が引用されていたのか?
4班:お律ッあんの人物造型 ~作品における意味~
5班:南条の清水巴に対する想いの変化について
6班:南条の,巴に対する気持ちの変化
7班:十字架と清水巴の心情の変化
8班:南条先生と巴の気持ちについて
9班:清水巴の人物像・性格

*     *

【3組】
1班:清水巴と南条先生の心情
2班:南条の巴に対する気持ちの変化(作者は男性)
3班:DVDと小説の違いについて。
4班:清水巴の人間像
5班:なぜ舞台が瀬戸内になったのか。
6班:小説とDVDの相違点と意図。
7班:①『エデンの海』の舞台,忠海周辺の地理関係について ②忠海周辺が作品の舞台に使われたことについて
8班:南条先生は教師失格?
9班:①南条先生・清水巴と「禁断」との関係性 ②南条先生と清水巴の,その後について

こうして見ると,学生達の興味・関心は,

(a)南条先生と清水巴の恋愛模様(主題)
(b)南条の人間像や性格
(c)巴の人間像や性格
(d)お律ッあん(脇役)の人物造型─作品における意味─
(e)小説の舞台が瀬戸内近郊地域であること
(f)小説とDVDの相違点─それぞれの特徴や意図─
(g)その他(十字架の意味,島崎藤村「新生」の引用等)

に分けることができる。これらの中で最も学生達に注目されたのが,作品の主題に絡む「(a)南条先生と清水巴の恋愛模様(主題)」に関してであるが,紙面の都合上,ここで紹介するのは控える。今回注目するのは,「(e)小説の舞台が瀬戸内近郊地域であること」である。3組7班の発表を紹介する。→【資料⑤】参照
当該発表は,『エデンの海』の舞台と考えられる忠海周辺の地理や,作品への影響に着目しており,その理由は,自分達の身近にある地域が,どのように作品に使われたのかが気になったからである。具体的には,作品中にたびたび登場する「冠岬」と,遠泳の授業で訪れた「稚子島」の場所を推定することにより(同じ地名は現在,忠海周辺に存在しない),作品読解や,地域の再発見に役立てている。資料には,地図や写真が緻密に使用される一方,地元民ならではの大胆な推測が加えられており,なるほどと首肯させられた次第である。当該班の集計用紙にも,「調べた地名が現在無い地名でも,それを無いで終わらせず,一致する場所を推測して挙げているのが良いと思った」という,審査学生からのコメントを確認できる。「作中の情報と一致する場所があることから,舞台である忠海を忠実に描いた作品であることが確認できた。また,忠海周辺の島や海などは昔から現在まで人々に愛されていることが読み取れた」という感想を持った班員達は,確実に瀬戸内近郊地域・社会への関心や理解が深まったことであろう。
また,紙面の都合上,発表資料は割愛するが,同じく3組の5班「なぜ舞台が瀬戸内になったのか」という発表における「考察② 戦争の跡」及び「結論」には,次のような鋭い指摘が記されている。

・かつて瀬戸内海は軍の基地があり,戦争と深くかかわっていた地域だ。しかし,本文に書かれているのは「戦争の影響」や,ふさがれた砲口,さびれた鉄柵などである。『エデンの海』が発表されたのが,終戦からわずか一年後ということも考えると,作者は終戦後の瀬戸内の描写を書くことによって,平和な海を表現している。(考察②)
・考察②,考察③の「平和」と「穏やか」は,楽園といわれる「エデンの園」とも連想できる。つまり,作者が考える「エデンの海」とは瀬戸内海のこと。(結論)

報告者の具体例(→【資料②】)に引きずられた面も否めないが,報告者とは異なる根拠を本文に見出した点は,大いに評価できると思う。若杉が昭和20年8月6日に広島に原爆が投下された際,この大崎上島に滞在し,終戦をこの大崎上島で迎えたこと,また同時期に『エデンの海』を執筆したことなどを勘案すると,この指摘は,さらに深みを増してくるように思われる。

(C)『平家物語』能登殿の最後,先帝入水(平成26年度「1年古典」,「平成27年度2年古典」)

源平合戦の「壇ノ浦の戦い」に纏わる,『平家物語』「能登殿の最後」及び「先帝入水」に関する授業は,実は同一学年において2年間に渡って実施した。同一の戦いを異なった局面から扱うことにより,学生達の多面的な物の見方や豊かな心を養うとともに,平家滅亡の地となった壇ノ浦(山口県下関市)が,大崎上島と同じく瀬戸内海に面していることを印象付けるのが狙いである。使用した教科書は,前者が『古典古文編』(第一学習社),後者が『古典B』(桐原書店)である。両者のあらすじ(大意)を,次に引用する。

【能登殿の最期】
能登守教経は,壇の浦の合戦で,この日を最後と,大太刀,長刀を振り回し,大活躍する。知盛はそれを見て,むだな殺生はおやめなさい,よい敵とはいえないものを,と言いやったところ,能登守はそれを大将軍義経に組めということと受け取って,義経目ざして舟から舟へ乗り移って攻め戦う。義経は表面は教経に立ち向かうように見せて,実際は避けて組もうとしない。しかし,どうしたはずみか,義経と教経は行きあたって,あわやと思われた瞬間,義経は離れた味方の舟にひらりと飛び移る。今はこれまでと悟った教経は物の具を投げ捨て,我と思わん者は生け取りにせよと呼ばわるが,寄る者は一人もいなかった。(『古典古文編指導と研究』第3冊,26頁)

【先帝入水】
壇ノ浦の趨勢も源氏方に傾いた頃,新中納言知盛は安徳帝の乗る船に参り,すでに勝敗の決したことを伝え,船内を自ら掃き清める。二位殿は,神璽・宝剣を携え,幼い帝を抱いて船端へと進む。「私をどちらに連れて行こうとするのだ。」と問う帝に,尼は涙を抑えて諭し聞かせる。尼は,東の伊勢神宮と西の浄土に向かって小さい手を合わせる帝をかき抱き,「波の下にも都がございますよ。」と申し上げ,千尋の海底へと身を投げた。(『古典B指導資料』第2分冊古文編Ⅰ部②,56頁)

瀬戸内海を舞台にした古典文学の中で最も著名なものは,『平家物語』ではないだろうか。上記二話の他にも,「敦盛最期」「那須与一」など,教科書に定番的に採り上げられる章段に,瀬戸内海はしばしば登場する。授業では,導入部として,国語便覧を用いて,瀬戸内海を舞台にした,平家の都落ちから壇ノ浦の戦いに至るまでの経緯を説明した。大崎上島の眼前に広がる,この大海原において源平の壮絶な戦いが繰り広げられ,「1186年,平家が九州落ちの途中,軍船に遅れた者が明石方に来て土着した」(『瀬戸内海の宝島大崎上島』,55頁)という言い伝えや,敗れた平家方の上臈女房が零落して女郎(遊女)になり,「オチョロ船」の「オチョロ」とは「女郎」が訛ったのではないか,という説もある。抑も大崎上島に数カ所鎮座する厳島神社は,平清盛(1118-1181)が尊崇した廿日市市の厳島神社に祀られている祭神の巡幸地であるという伝承さえあり,大崎上島と平家の浅からぬ縁故を感じさせる。
「能登殿の最期」は,平家一門最後の決戦場となった壇ノ浦の合戦における能登守教経の剛勇ぶりと,華々しい最期を迎える様子が描かれている。また「先帝入水」は,8歳の安徳天皇が,祖母の二位殿に抱かれて入水するという,物語中で最も痛ましい章段であり,諸行無常・盛者必衰の理を説いている。平家一門が滅び行く運命を従容と受け入れる姿に,学生達は感銘を受け,規範意識の醸成を促されたかも知れない。
今年度,「2年古典」で「先帝入水」を扱った後,『ビデオ古典名作撰平家物語』を鑑賞し,レポート課題(→【資料⑥】)を出した。今回もレポートに瀬戸内近郊地域の地図を掲載して,学生達に大崎上島と壇ノ浦の位置感覚を視覚的に理解させるように試みた。「3.源平の合戦から見た大崎上島について考察しなさい」に限って,学生達による,印象的な記述を列挙する。

・昔,祖父に聞いた話では,平家の武者が流れてきて,小頃子という地区に外から隠れるように逃げ込んだとされているそうです。それを決定づけることとして,小頃子には,神戸にある祇園神社と同じ榊をまつっている神社があり,縁どられている模様も一緒なことから,深く関係があるのだと思いました。(1組女子)
・最初の方の源平合戦は神戸や三重で行われていたので,最初は大崎上島とはあまり関係ないなと思いました。後半から岡山など瀬戸内海がでていた。平家物語ではでていないが,壇ノ浦で敗れた平家の武士たちが流れついたりしたのが大崎上島なのだとわかりました。折免島で源平合戦が行われたと伝わっており,折免島は白水港より臨める。それ程近い場所でやっていたので,どちらの軍もこの島の風景を見ていると思いました。(2組男子)
・大崎上島に平家の血を背負って生きている人がいるんだと思うと,すごいなと思った。それを思えば,大崎上島には歴史があるんだなと感じた。そういう場所で青春を送ることは,たくさん勉強になると思います。(2組男子)
・広島と愛媛の真ん中あたりにあるため,源氏も平氏も通り道で,ここに立ち寄ったのだと思う。それに大崎上島は入江のようになっているので,船が停泊するにはもってこいなのだと思う。平家の一部は大崎上島で暮らしていて,お墓まである。源平合戦の舞台となった島も近くにあることから,大崎上島は(源平合戦と)つながりが強いことが分かる。(3組男子)

「かみじまの風」ホームページの「大崎上島の歴史あれこれ」に紹介されている「ものの哀れを誘う平家伝説」を引用している学生も散見されたが,重複を避けて,今回は意図的に省いている。今回の授業や,レポート作成作業を通じて,瀬戸内近郊地域では源平合戦が繰り広げられ,大崎上島には平家伝説が脈々と伝わっているという理解が,学生の間に浸透したことは確かである。

(d)陶潜『桃花源の記』(平成27年度2年古典」)

陶潜(365-427)は東晋の詩人。字は淵明。41歳で役人を辞め,郷里に隠遁した。「田園詩人」と呼ばれる。「桃花源の記」のあらすじを,次に引用する(教科書は桐原書店『古典B』)。

晋の太元年間,武陵の漁師が道に迷い,思いがけなく桃花の林に出会う。林が尽きる所にある山の洞窟の奥には,秦代の戦乱を避けてきた子孫の平和な別天地があった。村人は漁師を歓待し,村の由来を語り,漁師も外の世界のことを話した。数日後,漁師は外界に戻ると,村人の口止めを無視して,郡の長官に話してしまう。長官は部下を差し向けるが,桃源郷を発見できない。隠者の劉子驥もまた果たせず,桃源郷を訪ねようとする人はなくなった。(『古典B指導資料』第5分冊漢文編Ⅰ部②,161頁)

「桃花源」とは「桃源郷」とも言われ,俗世間から離れた平和な別天地(ユートピア)を意味する。一見すると,この中国の逸話と瀬戸内近郊地域には,何ら接点がないように思われるが,報告者なりに,桃花源と大崎上島の立地条件や住民の生活態度に共通項を見つけ出し,このことを学生達に投げかけてみた。両者を比較・検討させることにより,大崎上島に関して今まで気付かなかった部分に彼らの目を向けるきっかけになるのではないかと思い,この発想に基づいた授業を展開し,レポート(→【資料⑦】)を作成させた。ちなみに「桃花源」の村の風景や,村人の生活は,以下の通りである。

○土地が平らに開けている。○家屋がきちんと整っている。○よく手入れされた畑,立派な地,桑畑や竹林などがある。○あぜ道が縦横に通じている。○畑で働いている人の服装は漁師とは異なる世界の人のもののようである。○老人や子どもたちが和やかに楽しんでいる。○村の外から来た漁師を家に招待し,酒食を出してもてなした。○今が何という時代かを知らない。○漁師から村の外の話を聞いてため息をついている。○戦争や権力闘争のない,平和な村である。(『古典B指導資料』第5分冊漢文編Ⅰ部②,168頁)
レポートの「【四】桃源郷と大崎上島の共通点を記し,感想を書きなさい」という項目を垣間見ると,報告者の期待通り,大崎上島と桃源郷の共通点として,①世間から隔絶していること(別天地),②平和で争いがないこと,③住民が穏やかで優しいこと,④自然が豊かで美しいこと等を挙げて,自分達が生活する大崎上島を,現代の桃源郷(ユートピア)であると意識した学生が多数存在した。物が溢れかえり,利便性が向上し,効率化が優先される現代社会とは対極にあるような大崎上島で暮らす若者達が,異国の文章である「桃花源の記」を介して,なかなか気付きにくい島の長所に目を向け,島で生活することを肯定的に捉えることができるようになったことは,非常に有意義であり,将来,地域に貢献できる人材が輩出されることが大いに期待される。

・桃源郷と大崎上島の共通点は沢山ありますが,一つ目は,船でしか行かれない所が挙げられます。まさに別天地という共通の部分であり,種類は異なりますが,桃源郷は桃,大崎上島はみかん・ブルーベリー等といった果物が実っています。美しい情景は,あたり一面海なので,太陽の光の角度により,朝・昼・夕と別の姿を見せてくれます。そして大崎上島は,服装は変わりませんが,老若男女みな都会と比べれば,ゆったりと過ごしており,和やかで楽しそうであることから,大崎上島は,桃源郷に近しい場所なのではないかと思いました。(1組女子)
・休日,この島で過ごす時,とても良いと思う。(スマホとか使わないとする)。時間は穏やかに流れるし,外を散歩すると,穏やかな情景が目に映る。外の世界の争いに巻き込まれることもなく,やさしい生活を送ることができる。無駄な刺激を受けず,ストレスが少ない。(1組男子)
・(共通点)外部との接触がほぼない。犯罪などが少ない。騒々しさがない。野菜や果物はほぼ自給自足。(感想)島だから,本土の様に学校帰りに遊べるような場所もなく,退屈だと思っていたが,そういう場所がないからこそ,犯罪が起こらず,ゆっくりと穏やかに生活できているのだろうと思ったし,老後は,島で生活するのもありだなと思った。(2組女子)
・桃源郷は世間から隔絶しており,皆が和やかに暮らしている。それは大崎上島も似ていて,本土と直接つながっていない所が世間から少し離れているのではないかと思う。それに僕が見る限り,島に住んでいる人は,穏やかにゆっくり時間を過ごしている印象がある。都会と比べ,時間の進み方も遅い気がする。この話では,いつも都会でせわしなく過ごしている人も,大崎上島のようなユートピアみたいな所で休んでみるのもいいと言っている気もする。(3組男子)
・自分たちが普段当たり前だと思っていることも,昔の人や外国の人から見れば,戦争がなく平和で,自然が豊かで,とても幸せなことで,桃源郷のような理想の場所だと思えるほどのものだから,もっと自分がここで生活していることに感謝しようと思いました。(3組男子)
・これは自分のことだが,地元では,特に知っている人以外はあいさつをしなかったが,この島では,通る人全員にあいさつをするようになり,海友会や障害者支援を通して,地域の人との関わりがとれていることも,桃源郷のみんなが和やかに楽しく暮らしている点と共通していると思った。(3組男子)

4.まとめ

今回は,報告者がこの3年間,「瀬戸内海と日本(古典)文学」と題して実施してきた授業の概要を紹介した。他にも,今年度の「1年国語」で空海に関する記述があった際には,空海が大崎上島に来たという旨が記してある「明石奥山の弘法岩(旧明石方村の話)」(金原兼雄氏『ふる里の伝承(初版)民話編』所収)という民話・伝承を,学生達に紹介している。上記の通り,学生達の,瀬戸内近郊地域・社会に対する興味・関心・理解は格段に深まっており,併せて「豊かな心,生きる力,規範意識」の確かな醸成も見受けられた。「大崎上島は,桃源郷に近しい場所」「大崎上島のようなユートピアみたいな所」「ここで生活していることに感謝しようと思いました」等の発言主は,将来,地域のために活躍し,地域社会の生活・産業の発展に寄与する人材になり得る可能性を大いに秘めていよう。ただし,大切なのは,地域の人間一人ひとりが,この地域を盛り上げようとする気運や雰囲気を持ち続けること。我々教員も,授業内容と地域をいかに結びつけるかを常に創意工夫しながら,授業を展開しなければならないと思う。授業内容と現代社会・地域との繋がりを提示するだけで,学生達の授業に対するモチベーションはかなり変わってくるはずである。

公開 平成29年7月

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